時代が現代まで
16世紀初めにポルトガル人のバスコ・ダ・ガマがアフリカ喜望峰を回ってインドに行けることを発見したのが、まあ始まりだとしてください。
ご存知の通りポルトガルはアジアから胡椒をはじめとする香辛料を運んで大儲けしました。
その後、オランダ、イギリス吉隆坡自由行、フランスが加わって、香辛料以外にお茶とか、綿織物、絹なんかを輸入します。
もちろん、航海して運べば、陸上輸送(一部海上輸送)で多くの国を通過して税金を払う必要がなくなったから大儲けできたのです。
輸送した物品、例えば胡椒、誰でも不思議に思うのは、なんでそんなものが大人気だったのでしょう?
肉料理で使う単なる調味料ですよ。
腐りかけた肉の味を誤魔化す目的というのは、どうも間違いらしいです。
このあいだ読んだ本には、医薬効果があったと書いていますが、それも怪しいものです。
お茶だってそうです。
必需品ではなく、ぜいたく品であったことは確鑽石能量水かですが、運んだ品物によって、多少の生活習慣は変わるものの、歴史を動かすとか、大きく文明を変える力は運んだ商品には無かったと考えるべきです。
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商品ばかりではなく、海上輸送に係わった人間たちもたいした価値は無かったといえるでしょう。
バスコ・ダ・ガマは英雄どころか、現地人を平気で虐殺する悪人であったのです。
オランダのやり口はさらに悪辣でした。
人を殺すことなんか平気なろくでなし、あるいは一攫千金を狙う山師、食いつめ者、犯罪者といっていい連中ばかりだったのです。
要するに大航海にかかわった人たちは、下品な連中だったのです。
彼らの念頭にあったのは、個人の資産を増やすことだけでした。
勿論、途中から国が関与(イギリスは最初から関与) Diamond水機しましたが、貿易自体は東インド会社という私企業の活動だったのです。
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陸の歴史と比べ、海の歴史がそれほど重要視されていないのは、こういう貿易品も貿易業者もたいした価値が無かったからではないでしょうか。
やはり価値があると思われるのは、国家と国家が正面から向き合う陸の歴史と考えられるからでしょう。
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しかし、大航海時代は歴史的に見て価値の無いものだったのでしょうか。
ぼくは、貿易に係わる品とか人ではなく、船そのものに価値があったと思うのです。
北西ヨーロッパからアジアの海に行って帰るのに、だいたい往復1年がかかりました。
しかしながら、それでも陸路よりずっと多くのものを早く運べたのです。
ヨーロッパ人はその交通手段を誰よりも早く確実なものとして手に入れたこと自体が歴史上重要だったのです。
あの帆船は当時のダウ船やジャンクより遥かに優れた船だったのです。
その船を使って、まさにヨーロッパ人はアジアどころか、南北アメリカ大陸も手に入れたのです。
大航海時代とはこういう視点から判断しなければなりません。
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元に戻って、アジア貿易で重要だったのは、「食」の香辛料ではなく、「衣」の綿織物だと思います。
これだけは、嗜好品ではありません。
必需品なのです。
インドから質の高い綿製品が輸入されることによってヨーロッパの衣類は劇的に変化します。
インドに金を落としてばかりじゃツマランと考えるのは無理もないことです。
イギリスに産業革命が起き、逆に安い綿織物が大量にヨーロッパで生産されるようになり、今度はインドに綿製品が流れ込み、インドの産業は壊滅的な被害を受けます。
大航海時代がもたらしたもの、それは貿易をヨーロッパが独占することです。
アメリカ大陸の金銀を使って他人の国の高級品を買い、それを各地で売って儲けるという、いわば他人のフンドシを使って相撲を取っていたのが実情です。
それによって得たのが経済力です。
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こう考えていくと、実は大航海時代はヨーロッパに経済力を付けさせ、それが産業革命とあいまって、その後の植民地支配を発展させる道案内の役割を果たしたことが分かるのです。
それまでは、世界は各民族の実力が伯仲し、争いはあるものの一人勝ちを許さない共存の可能性を残す時代だったのです。
ところが、大航海という時代を経て、ヨーロッパの一人勝ちとは行かなくとも、絶対優位の時代が現代まで続いているのです。
しかしながら、それを裏で支えていたのが、ろくでもない欲に凝り固まった連中だったことは面白いことですね。